ピカソのデッサンはとても精密だった

ピカソの絵で有名なのは「ゲルニカ」や「泣く女」といった作品で、美術の教科書にもよく取り上げられるため、知っている人も多いだろう。しかし、初めて見たときには、何が評価されているのか、何が描かれているのかさえよく分からないことが多い。中には「自分でも描けそうだ」と感じる人もいるかもしれない。

実は、ピカソの作風は生涯で何度も変わったことで知られている。僕自身も驚いたのだが、彼の青年時代に描かれたデッサンやスケッチは非常に精密で、その画力の高さには目を見張るものがある。「ゲルニカ」や「泣く女」しか知らなかった頃は、彼は感覚的に絵を描くタイプの画家だと思っていたが、忠実に描く能力を持ちながら、時代の変化に応じて作風を変えていったというのが真実だ。ピカソが生きた時代は戦争が絶えず、そうした背景が「ゲルニカ」や「泣く女」などの作品に反映されている。これらの作品が評価されている理由は、見た目のインパクトだけでなく、彼の生きた時代の変遷や、作品に込められた思い、さらには彼の生涯そのものを踏まえた上で理解されるものだからだ。背景を知らなければ、これらの作品を見ても「意味不明」と感じるのは当然かもしれない。

科学のプロセスもこれと似ている。科学は「問い」を持つところから始まる。問いに対する答えを探し求めることで、真理に近づいていく。例えば、「なぜ電気が流れるのか?」という疑問が科学の始まりだ。この問いを出発点に、電流や電圧が定義され、さらには電流の正体が電子であるという発見へとつながった。そして科学の本質は、新たな問いを生むと同時に、既存の概念に疑問を投げかけることにある。「電子を見たことがないのに信じるのは宗教と同じではないか」といった反科学的な意見もあるが、科学は「仮定した上での検証」というプロセスを踏まえて進化している。仮定が破綻するなら、その仮定自体を疑い、新たなモデルを築くのが科学だ。この姿勢が、信じることを前提とする宗教とは本質的に異なる。

こうした科学のプロセスを理解していないと、コロナ禍のような状況では誤解を招きやすい。「検査数が少ない!増やすべきだ!」といった発言も、科学的根拠がないまま叫べば「検査増やせ教」に過ぎない。科学は背景にある議論やデータを踏まえた上で成り立つものだ。この点で、背景を知らずにピカソの「ゲルニカ」を見たときのように、その本質が理解されないことが多いのかもしれない。